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税理士 出川 洋のブログ

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佐伯啓思先生の講演を聞いた

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納税協会の研修会で京大名誉教授の佐伯啓思先生の講演を聞いた。

声のトーン、話のスピード、温厚な語り口や表情が心地よくって聞き入ってしまった。

以下は先生が直接言われた言葉通りではないけど、先生の話を聞いて私が感じたこと。


 ドローンは便利な道具だけど、一家に一台必ず必要なわけではない。

高度成長時代に各家庭にテレビやエアコンが普及した時代とは違う。

爆発的に購買意欲を高めるイノベーションでない限り、小手先のイノベーションがあの時代を再現してくれると思っているのならそれは幻想にすぎない。


 世界は物質的に豊かになる方向へ向かっているわけではない。

世界中の全ての人々がより便利に、より快適にを求めるだけの資源が地球上にはない。

それを目指すべき価値に位置付けると格差が生まれるだけだ。

一つの価値観を世界中に求めるのではなく、人々は足ることを知り、

寛容をもって他者を認め、折り合いを付けながら過ごしていくほかない。


 ウクライナの戦争はいずれ終わるだろう。

コロナ禍 もいずれ収束するだろう。

でもそれ以前の世界に戻るわけではない。

2022年10月03日

何を成すか以前にどうあるべきか(つづき)

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先日の文章には、勿論つづきを書かなければならない。

具体的な例をあげるのが分かり易いと思うのだが、この数日思いあぐねていた。

イノベーションを例にしてみる。

生産技術の改革、販売管理技術の合理化、新市場や新製品の開発、組織の合理化など取り組まなければならないと盛んに言われる。

中小企業もこのような改革の努力をせずに、従来の経済構造に胡坐をかいていれば、いずれその土台が無くなるのではないかという漠然とした不安がある。

not to be,but to doだ。

もしその風潮に疑問を感じるのなら、なぜかという点を深く考えてみる。

イノベーションについていけない。
ITがわからない。
世の中の流れが速すぎて、勉強が追い付かない。

このままで生きていけるのなら、いまさら努力などしたくないというようなネガティブな理由にしか行き当たらないのなら、将来の見通しが少し甘いのかもしれない。

一方

ビッグデータとIT技術を活用して売れ筋の商品の上位3種類だけの品ぞろえにすれば、不良な在庫を抱えなくて済むだろうか?

部品の修理や交換にかかるロスを避けるために、平均的な使用時間を分析して、耐久性をぎりぎりまで吟味した使い捨て部品を多用することがユーザーの便益に叶っているだろうか?

というような疑問があるのなら、自分の求めているものが何なのかということをもっと突き詰めてみるのも面白い。

売れ筋上位3種類だけの品ぞろえの店に買い物に行って楽しいだろうか。

無駄な耐久性の質感のある部品がなぜ美しいと感じるのだろうか。

自分が買い物に求めている楽しさや、アイテムに求める美しさに気付くかもしれない。

さらに、それは自己満足にすぎないのかもしれないということも考えないといけない。
明らかに、買い物に楽しさや、アイテムの美しさを求めるべきではない分野もある。

しかし、自己満足ではない生活の楽しさや豊かさを世の中の人々に伝えたいと思えるまで突き詰めたのなら、それがあなたやあなたの会社の存在意義ではないだろうか。

私は、not to do,but to be をいまのところこのようにとらえてる。

つたない説明なので、また書きなおすかもしれない・・・

2019年03月27日

何を成すか以前にどうあるべきか

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新渡戸稲造の「武士道」が沢山書店に並んでいる時期があった。私もその時期に初めて手に取った。

この記事を読んでくださってる方にはバカにされそうだが、私はその時まで英書の「BUSHIDO」が翻訳だと思っていた。

ふと気がつくと、日本語の「武士道」に奈良本辰也訳とある。
武士道は英書が原書なのだ。

新渡戸はこれでもかというぐらい、西洋思想や西洋文学と武士道の類似点や相違点を並べ立てている。西洋人に日本や東洋の思想が決して西洋思想に劣らない素晴らしいものであることを発信しなければならないという意気込みを感じる。

SNSの発達したいま、一部のインテリだけではなく広く世界の庶民にも、日本や東洋のものの考え方について発信することが大切なのだと思う。

ところで、この「武士道」を読むにあたって、私のお勧めは対訳ニッポン双書のものだ。翻訳が客観的で翻訳者の思いにあまり左右されないし、頁の端に絶妙のタイミングで訳注が入る。

さらに解説書としてお勧めなのは角川oneテーマ21の「高校生が読んでいる『武士道』」だ。

こんなのを高校生が読むのかと感心してしまうが、新渡戸の次のようなエピソードが紹介されている。

一高の校長だった新渡戸が講堂に入ってくるなり「俺の名はNitobe,Not to do,but to be」と黒板に書き、生徒はみな度肝を抜かれたというところ。

これは難しい。

to be,to doが並ぶと、思い浮かぶのは丸山真男の「であることと、すること」なのだけれど、丸山の趣旨はNot to be,but to doだ。

私の場合、丸山真男の「であることと、すること」は高校の国語の教科書で出会ったのだが、初めて法律的なものの考え方との出会いだったと思う。岩波新書の「日本の思想」に収録されている。

新渡戸も「義」と「勇」の関係に関して、正義は行動を伴わないと価値がないと考えているらしいところは丸山と同じだが、勇気は義のために実践されるものでなければ徳としての価値はほとんどないとも言っている。

何を成すかという以前に、どうあるべきかという意味だろうかと想像しているのだが。

2019年03月23日

簡便にすることと誤魔化すことは違う

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日本の主要な国税は申告納税制度によっている。

申告納税制度とは納税者が自ら申告を行うことによって税額を確定させる制度だ。

この制度は納税者の良識に支えられている。

(仕事用とプライベートの区分)
ところで、かなり前のことなのだが、個人事業主が使っている携帯電話の利用料を全額経費に入れていても、税務署はそんな細かいことまで見ませんよねって相談されたことがある。

この人の心配事は、携帯電話は仕事でもプライベートでも使っているので、仕事で使う分だけを区分して経費にしないといけないのかという点だ。

所得税法は次のように規定している。

第四十五条 居住者が支出し又は納付する次に掲げるものの額は、その者の不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額又は雑所得の金額の計算上、必要経費に算入しない。
一 家事上の経費及びこれに関連する経費で政令で定めるもの

さらに所得税法施行令は以下の通りだ。

第九十六条 法第四十五条第一項第一号(必要経費とされない家事関連費)に規定する政令で定める経費は、次に掲げる経費以外の経費とする。
一 家事上の経費に関連する経費の主たる部分が不動産所得、事業所得、山林所得又は雑所得を生ずべき業務の遂行上必要であり、かつ、その必要である部分を明らかに区分することができる場合における当該部分に相当する経費
二 前号に掲げるもののほか、青色申告書を提出することにつき税務署長の承認を受けている居住者に係る家事上の経費に関連する経費のうち、取引の記録等に基づいて、不動産所得、事業所得又は山林所得を生ずべき業務の遂行上直接必要であつたことが明らかにされる部分の金額に相当する経費

つまり、仕事用とプライベートは区分しなければ経費にできない。

(区分する方法)
 スマホの使用料を仕事用とプライベートに区分する方法を考えてみた

 前月分の請求明細を見ると
 ①機種代
 ②基本料金
 ③通話料
 ④データ通信料
 ⑤オプション料金
 ⑥割引
 とある。


(手順1.)請求金額の総額から①の機種代がある場合には、購入代金の分割払いだから、その金額はまず除外する。機種代は別途に計算しないといけないがここでは説明を省略。さらにオプション料金のうち仕事に関係ない機能のオプション代も除く。

(手順2.)③の通話料は、仕事に使ったのか、プライベートに使ったのかを考えてみる。
 私の場合、ほとんど電話の使用料は無いが、電話を使った覚えがあるのは、顧客先へ訪問する際に約束の時間に遅れそうになって連絡した時だけなので、100%経費

(手順3).④データ通信料をどう区分するのかだが、アイフォンの場合スクリーンタイムという機能があって、どのアプリをどれぐらいの時間使っていたかが分かる。これをみると、仕事の連絡や情報検索に利用した時間、音楽をダウンロードしたり、映画やドラマを閲覧した時間が分かる。これを参考にデータ通信料のうち、仕事用とプライベート用を区分する。

(手順4).③の通話料と④のデータ通信料のうち、仕事に使った金額の合計の③と④の総額に占める割合をだす。

(手順5).手順1で計算した金額に手順4の割合を乗じて計算した金額が経費に算入される金額になる。

(さて、ここからが本題)
 毎月、こんな手間をかけないといけないのかという点

どうせ、税務署が見ないのなら、全部を経費にしてもいいじゃないかといえるのか?

税務署は、全ての申告書の細かい部分までチェックはできない。そんな人材も財源もない。しかし抜き打ちで調査の対象になり、その場に臨場した調査官が先ほどの所得税法45条を根拠に経費を否認することはあり得る。

じゃあ、見つかったら損じゃないかという発想は間違いだということを言いたいのだ。

冒頭に書いたが、税金のシステムは人々の良識に支えられている。

見つかったら損じゃないかという発想では成り立たない。


(お月様が見ているよ)
 岐阜県の民話らしいのだが、

  昔、母親を亡くした男の子とその父親が暮らしていました。

  二人で町におつかいに行った帰り、
     夜遅くなってしまったのだが、

  道の脇の畑においしそうなかぼちゃが生っている。

  父親は「誰か見ていたらすぐに知らせろ」と
      男の子に言い残して畑に入ろうとした。

  男の子が言った。
  「お父さん、お月様が見ているよ」

  親子は何も盗まずに家路についた。

この話、私も日本昔話で見たことがあるように思うのだが、なぜ相手が税務署なら、見つかったら損だという発想が生まれるのだろう。

(簡便にすることと、誤魔化すことは違う
先ほどの携帯電話の使用料について、仕事用とプライベートを区分する面倒な方法で毎回区分するのは、その手間と金額の誤差の関係から考えて不合理ではないかということは確かにいえる。

だからといって、税務署が見ていないから全額経費にしていいわけではない。

毎月の支払金額にあまり変動が無く、誤差の範囲が少額であるならば、根拠となるデータを保存したうえで、そのデータに基づく合理的な按分率を算定する算式を適用して毎回の支払金額から経費になる部分を計算するなど、簡便な方法を工夫することも考えないといけない。


2019年03月02日

遊びについて

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飲みに行った先や、買い物をしているときに、どうみても個人的な支出だなと思うのに、 会社名義の領収書をわざわざ書いてもらっている人をみかけたことないだろうか。

お金の管理にルーズな経営者も困る。経費になるものは、明確に区分経理して会社の財布から支出する。 それはもちろんそうあるべきだ。  

私が尊敬する、ある経営者を分析すると
①寛容であること
②正直であること
③礼儀正しくあること
④勤勉であること
⑤節制すること
なのだが、その人を見ていると上手に遊ぶことも大切なのではないかと思う。

いま、白洲正子の「たしなみについて」という本(河出書房新書)を読んでいる。
正子は、ただ勤勉なだけの人は「あまりに早朝から夜遅くまで働く為に、疲れ切って殆ど何も考える事は出来ません。」 「考えないからひまがない。ひまがないから考えない」という。
つまり、勤勉に考えることが重要なのではないか、考える時間の余裕を持つことは私の思う勤勉と矛盾しないのではないかと思うのだ。

また正子は「遊ぶことを知らない人は、遊ぶ時に、醜悪な、往々にして不健康な遊び方をしています」という。
別の場所で、「たとえばある一人の紳士は、これは又反対に一糸乱れぬりゅうとした恰好をしています。ただ、襟元、ネクタイのあたりだけをわざとだらしなくしているのです。いつでも。」 「おしゃれが板についた英国人が、型破りをあえてするのです。何もない所へする不しだらではありません。何かある上に、更に自分のスタイルをつくるのです。」といっている。

 こだわりのある遊び方がおしゃれなのだと思う。自分の金だから、役員報酬を充分にとって大金を遣うのも構わない。会社の経費に付回すのはおしゃれじゃない。犯罪にならず、周囲の人を不快にさせない遊び方がかっこいい。

2019年02月08日
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